My Story
起業ストーリー|びぶりあのルーツ
July 26, 2017みんな自由で、違っていい ものごころついた頃、私はアフリカのスーダンという国にいました。家には両親、傍らには現地のベビーシッターさんがいて、毎朝自宅の玄関前をヤギやロバの大群が駆け抜けていく...July 25, 20172017年7月。私は今この原稿を、旅で訪れたポーランドの首都ワルシャワで書いています。 今から25年前、1990年から1993年までのおよそ3年間を、私たち一家は、父親の転勤に伴って移住したこの...July 24, 2017小学校5年生になるとき、父の仕事の都合で一家で移り住んだのが、ポーランドのワルシャワでした。 日本人学校はあるものの、小学部・中学部あわせて18名という世界的に見ても極小規模の日本人学校です...July 23, 2017ワルシャワにいる頃、私がもう一つはまったもの。それが「文通」でした。 小学校高学年の女子といえば、友達とベッタリ遊びたい盛りです。そんな時期に日本を離れることになってしまったので、その恨めし...July 22, 2017通信教育と文通によって、活字媒体の楽しさを知った私が次に出会ってしまったのが、『週刊ベースボール』と『プロ野球ai』というプロ野球雑誌でした。 「小学生の女子が、なぜにこんなマニアックな雑誌...July 21, 2017話は少しそれますが、私が海外生活で学んだことの中に、「みんな自由で違っていい」という価値観があります。 これはポーランドに住むよりもっと前、オランダの幼稚園で最初に体験したことでした。そこは...July 20, 2017帰国した日本では、地元の中学校に編入しました。ポーランドに行く前に通っていた小学校で一緒だった子が何人かいたので、「○○ちゃん、元気にしてるかな〜」とのん気な気持ちで登校しました。 ところが...July 19, 2017ついに私はのんびり過ごした大学生活を終え、社会に出ることになります。スポーツジャーナリズムに興味を持ちつつも、小さい頃からめまぐるしく変わる生活環境を通して「新しいことを知り、学ぶことの楽しさ」...July 18, 2017大学卒業後、最初に就職したのは、大手英会話スクールでした。語学学習テキストや留学雑誌を制作する部門への配属を希望して入社したのですが、まず新入社員は全員、各地にあるスクールに配属され、営業職を経...July 17, 2017英会話スクールで営業を経験した私は、その後どうしても書籍編集の仕事をしてみたくなり、編集プロダクションに転職しました。(実務未経験ながら、大学生の頃に受講した校正講座とテープリライター講座が強力...July 16, 2017海外研修の仕事を手がけた私が次に興味を持ったのが、「海外研修以外の学習コンテンツを扱うこと」でした。そこでまたしても転職の道を選び、女性向けのカルチャースクール事業を運営する会社に就職しました。...July 15, 2017その後も紆余曲折あり、派遣社員として私立大学の広報部門で働いたり、人材サービス業界で広告プロモーションの仕事を担当したりしましたが、どこに行っても私の興味関心はただひとつでした。 広報誌やプ...