通信教育と文通によって、活字媒体の楽しさを知った私が次に出会ってしまったのが、『週刊ベースボール』と『プロ野球ai』というプロ野球雑誌でした。
「小学生の女子が、なぜにこんなマニアックな雑誌を?しかも海外で?」というツッコミが聞こえてきそうですが、当時、私は大のプロ野球ファンでした。
ですが残念なことに、ポーランドではこの情報を得る手段も何ひとつありません。
通信教育と同じように、「雑誌を日本から送ってもらえばいいじゃないか!」と閃いたものの、残念ながらプロ野球雑誌の海外購読サービスはなかったか、または高額すぎる…などの理由で両親に却下されたかで、断念することに…。
そこで、最終的には野球好きの従兄弟に頼んで、送ってもらうことにしました。(迷惑な話です。)
とはいえ、毎週・毎月送ってもらうわけにはいかないので、数ヶ月に一度届く雑誌を何度も読み返すことになります。結果、私にとってはこの雑誌すら通信教育と同じ位置付けの「教材」になりました。
気に入った記事は、いつのまにか暗記してしまうほど。さらに「これは!」と思った記事や文章は「書き写す」(いわば写経のような感じです)までするようになり、これが私の新しい趣味になりました。
このおかげで、ポーランドに来た当初に持て余していた時間は、なんとも言えないマニアックな活動によって、すっかり充実した時間になっていきました。
雑誌で学んだ日本語
この雑誌、特に選手のインタビュー記事は、イケてる日本語のフレーズやボキャブラリーの宝庫でした。
今でも覚えているのが、当時広島東洋カープにいた前田智徳選手(いや、町田公二郎選手だったかもしれません)のインタビュー記事です。見出しにあった「妥協しない」というフレーズが私の大のお気に入りで、この時期の私は、何かにつけ誇らしげに「妥協しない」というフレーズを連呼していました。今でも「妥協」という漢字を書くときには「広島東洋カープの赤いCの文字」が頭に浮かぶので、とても強いインパクトだったのでしょう。
もう一つは、当時、万年Bクラスだったヤクルトスワローズを優勝に導いた野村監督のID(Important Data)野球です。経験や勘に頼らず情報収集と分析を駆使して戦う野球スタイルに、「新しい時代の野球ってかんじ!」と心を鷲掴みにされました。
この野村監督の独特の野球観や生き様にも傾倒することになった私は、これまた彼がインタビューの中で言っていた「長嶋(茂雄)さんはひまわり。私は月見草」というフレーズをいたく気に入ってしまうのです。
ポーランドというマイナーな国に住む自分をノムさんに重ね合わせて(図々しくてすみません)、以後、「好きな花は?」という質問に対し「月見草です」と答えていた小学生の自分を思い出します。(思い出すと笑えてきます。小学生の私は、月見草なんて花?草?は見たこともなかったはずです。)
待望のクリスマスプレゼント
こうして「通信教育」「文通」「雑誌」は、私のポーランド生活を豊かに彩るツール、三種の神器となっていきました。
どれも「紙」と「活字」で構成されていて、読みやすく、わかりやすく、口頭での補足説明がなくてもきちんと伝わる「工夫」と「おもいやり」に満ち溢れていて…。そんな温かいコミュニケーションとそれを生み出すツールに、私はすっかり魅了されていたのです。
そうして私は次第に、「活字を通して繋がり合って広がる世界」に心奪われるようになっていきます。
それまでは「学校の先生」「看護婦さん」「探偵」「画家」(!)などに憧れていましたが、このとき初めて「文章を書く仕事」に興味を持つようになりました。
そして翌年のクリスマス。
私は父に当時発売になったばかりの「ちびまる子ちゃんワープロ」をリクエストしました。こうしてついに私は、念願の「活字を生み出す機械」を手にしたのです。
それからというもの、写経が「手書き」から「ワープロ打ち」に変わり、私の記者ごっこ、ライターごっこはさらに加熱していきました。
それはケニアのナイロビに引っ越した中学2年のときまで続きました。
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